無視するなど同性からいじめられたことがきっかけで不登校となりました。
そのときはクラスが変わっておさまりましたが、人間不信というかビクビクするようになりました。
その後も仲の良い子がおらず、体育のパートナーを作ってやる時間などが相手を探すのが辛く苦痛で、体育の時間がいやで徐々に不登校になりました。
病院には通院しませんでしたが、体育のない日は途切れ途切れには学校に通ってました。
カウンセリングは受けましたが、薬をすすめられるだけで根本的な解消にはなりませんでした。
起立性調節障害の経験はありません。
学校、先生とはそんなに深く関わりませんでした。
一応、少しは出席していたので、そこまで問題視されてなかったのかもしれません。
修学旅行があったときの学年は、仲良い友達がたまたまいてクリアできました。
基本、家にいるときはゲームばかりしてました。夜寝て朝が来るのが怖かったです。
勉強は教科書読めば大体できました。テストには行ってました。塾などは通っていません。
高校は姉がいた高校を何も考えず受けました。
父と母には仲がいい友達がいなくて辛いことを話しました。
死にたいとも言ったのですが、父親が死んだら嫌だよ、って泣きそうな声で言ってくれて、それ以来自分の中で少しだけ負担が軽くなって、集団の人と合うことができない自分を受け入れました。
だから、嫌な授業のときは最初から諦めて行きませんでした。親は見て見ぬ振りをしてくれました。
もし私の子どもも不登校になったら、私は子が自分の欠点や性格を受け入れられるようにしてあげて、違う世界を見せてあげたいです。
どこか合う世界を子に見つけてもらいその中で努力して欲しいです。
また、当時 容姿がきっかけでいじめられていたので、子には人から好かれる程度の身なりを整えてあげたいです。
りら
ここからは管理人が書いています。
今回は、ご本人の体験談です。
過去の不登校になった時の気持ちやご両親とのこと、そして 今親となって 子どもにしてあげたいことを書いていただきました。
体育の時間のパートナー、グループでの活動、娘も嫌がっていました。
体育の授業のある日を行き渋ったことが始まりです。
私自身も仲の良い子がクラスにいない時は苦手でした。
いじめや交友関係で悩んでいる子、体育が苦手な子にとっては、とても負担になると思います。
嫌な授業の日は行かない。それを親は責めない。
そうすることで完全な不登校とならなかったのですね。
「朝が来るのが怖い、死にたい」と私も言われました。親としては本当に辛いです。
医師に、どう答えるべきか聞いたときに、同じような答えが返ってきました。
ちゃんと子どもは覚えている。心に響くんですね。

子どもにしてあげたいこと。ものすごくわかります。
苦手なことを無理に克服させようではなく、違う方向に目を向けさせるべきだったと思います。
容姿についても自分への肯定感、自信にもつながる。
私自身がアトピーがひどくていじめられたので、そんな思いはさせたくないと思ってきました。
辛い経験があったからこそ、母となってから その経験がいきている、そう思いました。
りら
とても貴重な経験をお話しくださり、本当にありがとうございました。
