小学校から高校までエスカレーター式の女子校でした。
女子特有の、今で言う「同調圧力」になじめず、いつも独りぼっち。
陰口やシカトにも耐え切れなくなり、小学校4年頃からは、「お腹(頭)が痛い」と不登校になりました。
中学校に入ると登校するふりをして制服のまま渋谷に出、おこづかいで名画座に映画を観に通う日々でした。
中学3年の秋、高校でも小学校から同じ顔ぶれになるのが嫌で嫌で、両親に「公立高校を受験したい」と何度頼んでも聞き入れてもらえなかったのはとてもつらかったです。
父は地方都市に単身赴任する企業戦士で、週末帰宅しても接待ゴルフ三昧。
たまに帰宅すると「なぜ学校へ行かないのか」と体罰もありましたが、そのまま地方に帰るため、話す機会はまったくありませんでした。
“学校へ行くくらいなら死にたい”“映画を観よう。世界が開けてくる”。
そんな両極端な気持ちのはざまで揺れ動きながら、家と高校、映画館を往来する日々が続き、結局、高校2年を3回留年しました。
3回目の高2の時、アート系の大学進学という目標が出来ると、父は叱らなくなり、むしろ応援してくれるようになりました。
大学進学までに普通の人より3年余計にかかりましたが、私の成長までそれだけ時間がかかったということでしょう。
そんな娘を扱いかねてはいても、5年分の高校授業料を余計に払い、父はじっと見つめていてくれたのだと思います。
りら
ここからは管理人が書いています。
この体験談は不登校であった本人が書いてくださいました。
小学校から高校までエスカレーター式の私立の女子校。
小学校4年から高校2年生で2回留年するまで不登校。10年近くです。
きっかけが女子特有のいじめなので、高校まで同じ環境は本当に辛い。
高校受験、この時にも目標があって、応援してあげたらと親目線で思いました。
映画が好きだったんですね。
自宅にも居場所がなかったのかもしれないけれど
結果として ひきこもらず、映画館という好きな場所で過ごしたことは良かったと思いました。
高校2年生を3回、これも勇気がいることだったと思います。
強くて、頑張り屋さんだと思いました。
ちゃんとお父さんにも感謝していて優しい子です。
最終的に、お父さんにも応援してもらえて良かった。
目標があれば、そこまでの通過点として頑張れる子もいます。
自分のやりたい道をみつけることが重要ですね。
親は応援することが大事。
不登校は父親はなかなか理解しづらいですね。
受け入れ応援するまで、家庭内でも温度差が出てきます。
わが家もそうですし、知り合ったお母さん達の話を聞いていてもそうです。
ここで、寄り添えるかどうか、その後の絆が変わってくると思います。
最後に、「同調圧力」から不登校になる子供は多いと思います。
こうやって、子供側の気持ちを聞けて 参考になりました。
りら
とても貴重な体験談をありがとうございました。
