かつて不登校の学生に対応しなければいけない立場にあった時、学校に来れるようしなくてはと冷静を装いながら、やっきになったことがあります。
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、一人二人とそういう子と接するうちに、急かしても急かさなくても、戻って来られる時は戻って来られるし、戻って来られない時は戻って来られないんだということに気がつきました。
私は不登校という言い方が好きではありません。
学校に行かなかった日、行かない日という捉え方をした方が良いと思います。
ただ、学力の維持だけはどういう方法をとってもいいのでしておいた方が良いです。
親御さんの中にはどうにかしてと学校に行って来られる方もいますが、学校にできることには限度があります。
公立の学校について言えば、学校に毎日行ってても、できるお子さんのご家庭ほど、学校は社会勉強の場、いわゆる勉強は家でするものと割り切っています。
先生方はそういう考え方を直接的に言うことはないと思いますが、参考にすると良いのかもしれません。
日本のように学校には毎日行くべきだとするのも、毎日行くのはえらいこと(いわゆる皆勤賞的な考え方)とするのは古い考え方だと思います。
世界を見れば、あえて学校に行かないという選択をするご家庭もあります。
学校に行かないことを責めず、周囲はどーんと構えていたいものですね。
りら
ここからは管理人が書いています。
学校の先生の方の経験談です。
私も「不登校」という言葉が好きではありません。
ブログの中では、一般的に使われている言葉、国が定義している言葉なので使っています。

イギリスのBBCニュースで、日本の不登校がFutoko(不登校)として取り上げられました。
この言葉が世界にも浸透していっています。
「不登校」は学校に行っていない状態で、原因はいろいろ違い、この言葉のイメージが先行するのが嫌ですね。
noteで全文を訳してくださった記事がありました。
参考 英BBC NEWS「どうしてこれほど多くの日本の子供たちが、学校へ行くことを拒むのか」記事全文訳 note不登校の言葉、ひきこもり、自殺、学校の仕組みについて書かれています。
なぜ、学校になじめないのか。子供達は居心地が悪く感じるのか。
この記事の最後の文を紹介します。
文科省は現在、不登校は異常ではなく時代の流れだと受け入れることをあきらかにするべきだと、ウチダ教授は話します。教授は、不登校の生徒たちは問題児ではなく、望ましい環境を提供することに失敗した日本の教育の仕組みに対応した暗黙の告白だと見ている。
焦ってもしょうがなくて、戻れない子は簡単には戻れないです。
時間が必要で、その通りです。それぞれの復帰ペースがあります。
冷たくは思いません。よく理解されてると思いました。
勉強は学校以外でも できます。
学校での大切な部分はそれ以外ですね。
その部分の居場所が他でできたらと思います。
実技などを休むと、評価に影響もするので無理して学校に行きます。
皆勤賞の考え方は出席すること自体が評価ですよね。
「学校に行かないことを責めず」
学校側もこの考え方が浸透して、もっと子供達が休みやすくなれば、心がパンクする前に充電ができると思います。
周囲がどーんと、まずは親から。そして教育現場、社会ですね。
りら
とても貴重な経験をお話しくださり、ありがとうございました。
